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2016-04-22T00:00:00+00:00
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『丸山眞男講義録〈第3冊〉政治学 1960』
2016-04-22T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/22/book-review-a-lecture-of-political-science-by-maruyama-masao
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4130342037" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2%E3%80%88%E7%AC%AC3%E5%86%8A%E3%80%89%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AD%A6-1960-%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E7%9C%9E%E7%94%B7/dp/4130342037?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4130342037"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41TYN590P7L._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2%E3%80%88%E7%AC%AC3%E5%86%8A%E3%80%89%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AD%A6-1960-%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E7%9C%9E%E7%94%B7/dp/4130342037?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4130342037">丸山眞男講義録〈第3冊〉政治学 1960</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">丸山 眞男</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">1998-07-01</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">東京大学出版会</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4130342037</span></li></ul></div></div>
<p>本書は、政治学者の丸山眞男が東京大学で行った政治学の講義を、丸山自身の講義ノートと聴講者のノートに基いて再現した講義録である。</p>
<p>本書は、通常の政治学の教科書とは少々異質な構成になっているようだ。私が教養科目などで学んだ政治学で使っていた教科書では、政治体制からはじまり、政党がどのような役割をはたすか、または選挙制度の種類など、政治体制とそれを維持するための政治制度の解説が中心となっていた。</p>
<p>しかし、本書はそれとは全く異なり、まず個人が政治に対してどのような態度をとるかという人間心理の話から始まる。政治に関心を持たない人(非-政治的人間)、さらに政治を嫌悪する人(反-政治的人間)、むしろ政治に極端に参加する人(過-政治的人間)。こういう具合に個人の政治的態度を丸山はまず分析していく。次に、丸山はこうした様々な政治的態度をとる人同士がどんなネットワークを築いていくかを考察する。こうしたネットワークは、ある政治的イシューが起きると組織化されるようになり、やがては政党や政体が生まれるようになる……と続いてく。</p>
<p>つまり本書は、既にできあがった政体や政治実務者から政治を論じるのではなく、あくまでも私たちと同じ個人の心理からスタートしてボトムアップに政治が生まれる様を描くことで政治を論じるのである。</p>
<p>現代では、こうしたアプローチはむしろ社会心理学に分類されるのかもしれない。おそらく、スタンダードな政治学の教え方ではないだろう。しかし、本書を独立した読み物として読むならば、この構成は人々にとって非常に入りやすいのではないだろうか。</p>
<p>大半の人の政治的イシューとは、まずなによりも「自分は政治にどう関わるのか」という、コミットメントの問題であるはずだ。そこが解決されないかぎりは、いくら政治について優しく語られても遠い世界の話にしかならない。そう考えれば、本書は大半の人々の現実と政治家たちの世界をつなげていく格好の書物となるのではなかろうか。</p>
<p>実は本書で取り上げている講義には2つの特色がある。まず、本書に収録された講義は、丸山が生涯でただ1度だけ担当した政治学の講義であるという点。そして、この講義が行われたのが安保闘争が終結した直後に行われたという点である。きっと安保闘争に情熱的に参加した学生も聴講していたことであろう。まさに政治と向き合った若者に、戦後日本の代表的な政治学者が政治とはなんたるかを語っていたわけである。</p>
<p>既に現実の政治と向き合い、戦った若者に、なぜ丸山はあえて「個人が政治へ向き合う様」から政治学の講義をはじめたのか。その理由を行間から読むのも、また本書の面白さの1つである。</p>
『民族という虚構』
2016-04-17T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/17/book-review-collective-identity-and-social-fiction
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4130100890" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%99%9A%E6%A7%8B-%E5%B0%8F%E5%9D%82%E4%BA%95-%E6%95%8F%E6%99%B6/dp/4130100890?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4130100890"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/31Z3ZnOrPqL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%99%9A%E6%A7%8B-%E5%B0%8F%E5%9D%82%E4%BA%95-%E6%95%8F%E6%99%B6/dp/4130100890?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4130100890">民族という虚構</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">小坂井 敏晶</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2002-10</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">東京大学出版会</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4130100890</span></li></ul></div></div>
<p>先日、熊本・大分を中心として大規模な地震が起こった。早期から報道は現地の被害状況を伝えていた。潰れた民家、野外の避難場所で毛布に包まる人々、石垣が崩れた熊本城、崩落した阿蘇大橋。悲惨な状況にテレビから目を話すことができない。このような光景を目にして多くの人は震災の被害に遭った人々の哀しみに共感する自分がいる。</p>
<p>しかし、と私は自分の感情に疑念を抱く。もしこれが遠い海外の地での地震だとしたらどうか。これほどテレビに釘付けになることも、共感を抱くことも無いのではないか。例えば、ネパールで震災が起こったからといって日本国内の報道や興行の自粛を検討することはあるだろうか。</p>
<p>震災に限らず悲劇は世界中で常に起こっている。にも関わらず人々は限られた悲劇、特に日本国内の悲劇や日本人が関係する悲劇だけに反応する。要するに、何か大規模な出来事が起こった時に私たちがとる反応は何らかの共同体意識の影響を受けているのである。それでは、その共同体意識はどのようにして出来上がるのか。どうして私たちは、行ったこともない場所の出来事に対して、それが国内というだけで我が事のように感じるのか。</p>
<p>もしその共同体意識がポジティブな方向に作用するのであれば、特に疑念を感じることはないだろう。しかし、時に民族意識による団結は排外を招くこともある。たとえば関東大震災のときは、「朝鮮人が井戸に毒を流した」というありもしない噂が広まることによって虐殺が引き起こされた。同じ被災者であるにもかかわらず、民族や国籍の違いで亀裂が走る。今ではさすがにそのような自体は簡単には起こらないだろうか、それでも不安な気持ちにさせる。もしかしたら私の感動が、私を間違った行動に走らせてしまうのではなかろうか。はたして、私の胸に湧き上がるリアリティを、私はそのまま受け入れて良いものだろうか。</p>
<p>3.11以降、急速に重要視された「絆」の向き合い方に私は今も戸惑っている。そのような人は、他にも大勢いるのではないだろうか。</p>
<p>本書『民族という虚構』は、民族などの集団的なアイデンティティがいかにして出来上がり、自明のものとして人々が受け入れるようになるのか、そのメカニズムを解き明かす著作である。民族について研究する時、歴史などの事実関係に着目するアプローチが素人的には考えられるが、本書では認識論の観点から民族について考察している。要するに、人は何を見て民族なるものを想像するのか、ある集団を民族として認め、伝統があると認識する要件は何か。それをディビッド・ヒュームから現代の脳科学まで幅広い学術研究を総合して検討する。</p>
<p>本書で主張していることを端的に言えば、民族をはじめとした集団的なアイデンティティは真正であることはありえず、常に虚構で成り立っているということである。これだけでは、著者は民族や集団を嫌う極端なコスモポリタンのように感じるかもしれない。しかし、著者の意図はむしろ逆である。著者は、そもそも社会も、個人の意識でさえも、虚構を抜きにしては成立し得ない。さらに言えば、現実と虚構は対立的なものではなく、むしろ相補的な関係にある。つまり、現実はウソで成り立っているのだと言う。</p>
<p>本書は民族の虚構、文化の虚構、個人の虚構、社会の虚構を次々と暴き、ついには現実の虚構性を解明したうえで、虚構の重要性を説く。人々の間で共有された虚構が排外主義を引き起こすのではなく、たとえ異なる民族に所属しようと助け合いができる、開かれた共同社会はいかに構築可能かを模索する。</p>
<p>本書は民族問題だけではなく、インターネットの発達によってたちまちのうちに情報が共有され、かつて区別されていた「バーチャル」と「リアル」の境目がなくなった現代社会のあらゆる事象を考えるうえで重要であろう。</p>
<p>最後に、震災の被害に遭った友人に、いち早くもとの現実に戻れるよう祈っている。ひとりひとりへの絆については、私はまだ信じられている。</p>
『脱学校の社会』
2016-04-10T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/10/article-book-review-deschooling-society
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4488006884" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B1%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81/dp/4488006884?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4488006884"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41Cig-Zc25L._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B1%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81/dp/4488006884?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4488006884">脱学校の社会 (現代社会科学叢書)</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">イヴァン・イリッチ</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">1977-10-20</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">東京創元社</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4488006884</span></li></ul></div></div>
<p>『脱学校の社会』は学校制度を批判し、新たな学習支援の在り方を説いた思想書である。本書における学校制度批判は、「価値の制度化」という概念が中心となって構築されている。</p>
<h2 id="価値の制度化とは">価値の制度化とは</h2>
<p>価値の制度化とは、ある価値を維持していくために生み出された制度が、いつのまにか制度自体に価値が有るように人々が錯覚し、本来の価値が失われていくことを意味する。学歴を例にあげてみると、人が大学に行く本来の目的は、学問を修めることであるはずであり、学位は、その目的が達成されたことの証明として与えられる。そのうち、学位を持った人こそが学問を修めた人間であると社会ではみなされるようになる。すると、やがて人々は学位を得ることが学問を修めることであると考えるようになる。このような過程を経ることで、本来学問を修めるための手段の1つでしかなかった学位の取得が目的へとすり替わっていき、本来の学問を修めるという目的が忘れられてしまう。これが価値の制度化である。</p>
<p>価値の制度化が問題となるのは、本来多様である人間の価値観が特定の制度の枠内に制限されていき、人間の可能性を狭めてしまうことである。ある人が欲する知識や能力を得るには、大学に入るための高い授業料を払わずとも、学習資源にアクセスするためのある程度の環境さえあれば独学で達成することが可能かもしれない。しかし、学習を支援することが学校制度を推進することとみなされると、人々の学習はカリキュラムに左右されるようになり、学習コストがつり上がってしまう。結果として、授業料の払えない人々は学ぶことを諦めてしまうという事態を起こしてしまうのである。</p>
<p>イヴァン・イリイチは他の著作でも、制度を導入することに熱心になることで人間が本来抱いていた価値観が奪われていく現代社会を一貫して批判している。本書『脱学校の社会』では、上の例にあげたような、教育政策で起こる価値の制度化を問題提起し、学校制度の維持を主眼とした教育政策を激しく批判した。結果として、本書は教育界に衝撃をもって迎えられ、フリースクールなどの理論的基盤として活用されるようになった。</p>
<p>イリイチの学校制度批判は過激であり、ともすると非現実的なカルト思想にもなりかねない部分がある。しかし、先に述べたような価値の制度化という現象はたしかに現実に起きている。そして、その問題意識は今でも活きている。</p>
<h2 id="opportunity-web機会の網状組織">Opportunity Web(機会の網状組織)</h2>
<p>本書は他にも、イリイチが学校制度の代わりに提案した「オポチュニティー・ウェブ(機会の網状組織)」という非常に興味深いアイデアが書かれている。そして、これこそが本書が現代に与えている最も大きな影響であるかもしれない。</p>
<p>オポチュニティー・ウェブは、子どもが学習するために必要な4つの資源ーー事物、模範、仲間および年長者ーーに出会う機会を提供するネットワークであり、それは主に次の4つのウェブによって達成される。</p>
<p>1つは、人が学習するために必要な学習オブジェクトにアクセスすることができるネットワークであり、自由に工作したり実験したり実物に触れる機会を提供する。ファブラボや博物館、図書館をイメージしてもらえば分かりやすいだろう</p>
<p>2つ目は、人々の間で技能を交換することができるネットワークであり、これによって学習者から道具の使い方を学ぶことを自由に学ぶことができる。</p>
<p>3つ目は、同じ関心を持つ人が出会い、学習仲間として共にコミュニケーションをとる機会を提供する機能である。本書では、好きな本を挙げたプロフィールと電話番号を登録すると、自動的に同じ本が好きな人同士をマッチングする電話ネットワークを具体的な手法として提案しているが、現代人の多くがソーシャル・ネットワーキング・サイトを思い浮かべるに違いない。</p>
<p>4つ目は、専門的な教育者を供給するネットワークであり、ここでは知識や技能を教えたいと思う人が自由に教える機会を得て、報酬をもらうことができる。ここでは教育クーポンなどを学習者に配布することで教育者が報酬を得られる仕組みが提案されている。</p>
<p>以上の4つのウェブによって、人が学校制度に依存せずに学習することのできる社会を形成することをイリイチは提案した。</p>
<p>簡単にいえば、イリイチは学校制度の代わりとして学習の機会にアクセスするネットワーク環境を構築することを提案した。そして、それはワールド・ワイド・ウェブが目指す未来の学習環境のあり方につながっている。</p>
<h2 id="関連記事">関連記事</h2>
<ul>
<li><a href="/blog/2016/04/13/deschooling-society-as-life-long-learning/">生涯学習支援からみる『脱学校の社会』</a></li>
<li><a href="/blog/2016/04/13/deschooling-society-as-life-long-learning/">2016-04-05-book-review-what-is-learning</a></li>
<li><a href="/blog/2013/02/14/web-as-metapho/">「ウェブ」という比喩の普遍性</a></li>
<li><a href="/blog/2016/04/05/book-review-what-is-learning/"> 『学びとは何か――〈探究人〉になるために』はおすすめ本</a></li>
</ul>
『私とは何かーー「個人」から「分人」へ』
2016-04-09T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/09/bookreview-the-theory-of-dividual
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4062881721" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E5%88%86%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%81%B8-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B9%B3%E9%87%8E-%E5%95%93%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4062881721?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4062881721"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/31TjFJRxJqL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E5%88%86%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%81%B8-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B9%B3%E9%87%8E-%E5%95%93%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4062881721?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4062881721">私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">平野 啓一郎</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2012-09-14</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">講談社</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4062881721</span></li></ul></div></div>
<p>本書『私とは何かーー「個人」から「分人」へ』は、小説家・平野啓一郎による思想書である。内容を端的に言い表すとするなら、「分人」の2文字に尽きる。</p>
<p>平野は、「私」を構成する要素として近代的な概念である「個人」よりも小さな「分人」という概念を
提唱する。分人は、対人関係のなかで作り上げられる。私の人格や行動パターンは、分人ごとに異なっている。一般的に考えられている統一的な「私」の人格とは、実は分人の構成比率を反映したものなのだという。</p>
<p>この分人論をもとに、平野はどうして自殺が悪なのか、どうして人の死は哀しいのか、といった問いを鮮やかに説明していく。</p>
<p>かつて小説家・森博嗣は『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%8CF%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A3%AE-%E5%8D%9A%E5%97%A3/dp/4062639246?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4062639246">すべてがFになる</a>』の中で、人間は複数の人格を有しているのが通常の状態なのだという主張を登場人物に話させている。また、人間には人間が複数のアイデンティティで構成されているという主張は、アマルティア・センが『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B-%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AF%E5%B9%BB%E6%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B-%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3/dp/4326154160?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4326154160">アイデンティティと暴力</a>』(<a href="/blog/2016/04/08/bookreview-identity-and-violence/">書評</a>)の中でもしている。平野の主張と同じことを主張した人は、2人にかぎらず多くいたに違いない。</p>
<p>平野の分人論の独自性は、「私」を構成する複数の人格がいかにして生まれ、いかに人格同士で協調しているのかを「対人コミュニケーション」を中心として説明しているところにある。森が述べているような複数の人格は、人間の内部にいつの間にか住んでいるものだという神秘的なイメージに依っており、人格の出自や平生のメカニズムについては説明していない。しかし平野の分人とはむしろ外界と心を仲介する境界なのであり、分人が生み出される過程を日常の行動のなかで十分説明することができる。だからこそ、本書は人生の様々な問いを説明したり解決策を提示することができるのだ。</p>
<p>また、平野の分人論は、インタラクションデザインを考えている人にとっては非常に相性が良い理論なのではないかと思う。今後、様々な技術を発展させる基本思想になることを期待したい。</p>
『アイデンティティと暴力』
2016-04-08T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/08/bookreview-identity-and-violence
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4326154160" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B-%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AF%E5%B9%BB%E6%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B-%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3/dp/4326154160?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4326154160"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51zZOSU6HlL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B-%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AF%E5%B9%BB%E6%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B-%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3/dp/4326154160?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4326154160">アイデンティティと暴力: 運命は幻想である</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">アマルティア・セン</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2011-07-09</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">勁草書房</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4326154160</span></li></ul></div></div>
<p>本書『アイデンティティと暴力』は、アイデンティティがどう世界のテロや紛争に影響をあたえるのかを考察した書籍である。
本書のキーワードは二つ。「アイデンティティの複数性」と「アイデンティティの単眼化」である。</p>
<p>アイデンティティという概念は、ときにたった1つの絶対的なものと規定されがちである。しかし実際には人は言語、宗教、性、国籍、職業、思想といった複数のアイデンティティを有しており、日常のなかで使い分けていると著者アマルティア・ センは主張し、これを「アイデンティティの複数性」と呼んでいる。アイデンティティが複数あることで、ある点では対立関係にある人々が別の点では協調することができるようになる。また、個人の思考も多面的に物事を視ることができるようになり、過激な行動に走りづらくなる。要するにアイデンティティの複数性は平和を作り出す基盤となりうるのである。</p>
<p>しかし、人は暮らしている環境によって、ときに自分がたった1つのアイデンティティしか持たないと思い込まされることがある。それはやがて、民族や宗教といった1つの特性によって、本来は簡単に分けることのできない人類を幾つかの集団に無理やり分類する思考を生み出していく。完全に分類されある集団と別の集団の境界がはっきりと分かるようになると、それは対立構図を生み出し、やがてはテロや内戦のもととなる。これが「アイデンティティの単眼化」である。</p>
<p>アマルティア・センは、現代の世界ではアイデンティティの単眼化が蔓延しており、それがテロや内戦をヒートアップさせる要因となっていると主張する。そして、アイデンティティの複数性に目を向けることが世界の平和につながるのだという。</p>
<p>このように本書の特徴は、アイデンティティの複数性という概念で多様な自己に向き合うという小規模な話が、世界の平和という大規模な問題へとつながっていることである。自分自身の心のありようと世界とはどうつながっているのか。誰もがそんな疑問を抱くことはあると思うが、その疑問に応えるのが本書であると思う。</p>
<p>世界地図を見る時、ニュースで紛争やテロについて聞く時、私たちは知らず知らずのうちにそこにいる人々を1つのアイデンティティに矮小化している。ただ見るということ、傍観するということが無思慮な暴力になるということがある。そんな暴力を少しでも控えていくヒントとして、本書を勧めたい。</p>
『波止場日記』と知識人批判
2016-04-07T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/07/bookreview-working-and-thinking-on-the-water-front
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4622083744" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E6%B3%A2%E6%AD%A2%E5%A0%B4%E6%97%A5%E8%A8%98%E2%80%95%E2%80%95%E5%8A%B4%E5%83%8D%E3%81%A8%E6%80%9D%E7%B4%A2-%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC/dp/4622083744?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4622083744"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51e2ty6SyAL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E6%B3%A2%E6%AD%A2%E5%A0%B4%E6%97%A5%E8%A8%98%E2%80%95%E2%80%95%E5%8A%B4%E5%83%8D%E3%81%A8%E6%80%9D%E7%B4%A2-%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC/dp/4622083744?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4622083744">波止場日記――労働と思索 (始まりの本)</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">エリック・ホッファー</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2014-09-11</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">みすず書房</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4622083744</span></li></ul></div></div>
<p>本書『波止場日記』は、沖仲仕の哲学者エリック・ホッファーの日記である。エリック・ホッファーは完全に独学で植物学や哲学などの様々な学問を修めるだけの才能を持ちながら、アカデミズムに染まることを忌避し、肉体労働と知的生活を行き来する生涯を過ごした風変わりな人物として知られる。そんな彼が書く日記は、日々のどうということのない港での労働風景を描いているようで、気が付かないうちに哲学的な思索へと入りこんでいく、不思議なリズムを持った文章である。</p>
<p>本書は単なる日記ではなく、ある思想書を書くための準備として書かれたものであることが作中で述べられている。著者によれば、それは知識人に関する思索をまとめたものだという。以前にとり挙げた『<a href="/blog/2016/04/06/book-review-true-believer/">大衆運動</a>』でも重要なテーマとして取り上げているが、ホッファーは著作の様々なところで知識人や教育者に対する批判を述べている。本書では例えば、以下のような文章がある。</p>
<blockquote>
「ときどき、教えたいという衝動ー学びたいという衝動よりもはるかに強力で原始的ーは大衆運動を盛り上げる一つの要因なのではないかと考えたくなる。共産主義者会がどうなっているかをみればよい。世界の半分は十億の生徒をもつ巨大な教室と化し、狂った教師たちの想いのままになっているではないか。」
<cite>
(『波止場日記』p.38より)
</cite>
</blockquote>
<p>ホッファーは肉体労働をともにする人々の大衆運動に動員し、統制社会へと巻き込んでいく知識人を警戒し、批判していた。『大衆運動』や本書でかいま見える知識人批判は、近年よく名が知られるようになった『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%8F%8D%E7%9F%A5%E6%80%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4622070669?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4622070669">アメリカの反知性主義</a>』のコインの裏であり、どちらも「知識人はどうあるべきなのか」「大衆は知識人とどう付き合っていくべきなのか」を問うている。</p>
<p>単なる日記を超える思索に満ちた書としておすすめしたい。</p>
エリック・ホッファー『大衆運動』を読んだ
2016-04-06T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/06/book-review-true-believer
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4314009357" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E9%81%8B%E5%8B%95-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC/dp/4314009357?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4314009357"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/410qsB8yCNL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E9%81%8B%E5%8B%95-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC/dp/4314009357?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4314009357">大衆運動</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">エリック・ホッファー</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2003-02-18</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">紀伊國屋書店</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4314009357</span></li></ul></div></div>
<p>『大衆運動』は、古今東西の大衆運動に共通する特性とメカニズムについて考察した思想書である。原著は1951年に出版されており、ナチズムの惨禍がまだ記憶に新しい頃に書かれた。本書の著者、エリック・ホッファーは在野の思想家であり、「沖仲仕の哲学者」という愛称でアメリカ国民に親しまれていた。ホッファー自身についての話は、それだけでブログ記事が一本書けてしまうほど濃い内容なのでここでは触れない。</p>
<p>本書で対象にしている大衆運動は非常に幅が広い。直接言及されているだけでもルターの宗教革命や、
ムハンマドによるイスラム教の誕生、フランスの革命、アメリカ独立革命、ロシア革命、ナチズム、インドの独立運動、日本の明治近代革命が挙げられる。一見、アメリカの独立革命とナチズムとインドの独立が並列するのには違和感を抱くかもしれない。しかし、目的や思想こそ異なれど、これらの運動には現状からの変化を求める熱狂を伴う点では共通している。ホッファーは、この変化を求める欲求を誰が、どのような過程で抱き、それが大衆運動に結実していくかを探究することで、大衆運動のメカニズムを解明しようした。</p>
<p>ホッファーは、大衆運動に参加する人々は自分が自分であることに耐え切れなくなり、個人としての自分から逃走しようとする人であると指摘した。彼らは、大衆運動が掲げる高邁な思想や絶対的な真理(キリスト教、愛国主義、ナチス、共産主義、……etc)の信者となり、大衆運動という全体の一部であることによって自分自身のことを忘れようとする。こうして個人であることを止めた大衆運動の参加者は、自分の命を顧みずに大衆運動の目的実現に向けて献身する。つまり、大衆運動は意図的であれ潜在的にであれ、参加する人々の人間性を失わせる作用を持つのである。そのため、ホッファーは大衆運動を非常に危険であると警鐘を鳴らしている。</p>
<p>ホッファーの思想は、現代の社会運動にまつわる理論の文脈では疑問が呈されているらしい。昨今では社会運動はホッファーの描くような狂気にかられた行動ではなく、合理的な行動として分析するアプローチが主流のようだ。しかし、自爆テロなどのテロリズムを理解するためには、やはり狂信的な心理を探求することが必要ではないかと思う。</p>
<p>本書は現代においてもなお、いやテロリズムに世界中が揺れている今だからこそ読まれるべき本かもしれない。</p>
『学びとは何か――〈探究人〉になるために』はおすすめ本
2016-04-05T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2016/04/05/book-review-what-is-learning
<p>『学びとは何か――〈探究人〉になるために』という本を読んだ。</p>
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4004315964" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E3%81%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%88%E6%8E%A2%E7%A9%B6%E4%BA%BA%E3%80%89%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BB%8A%E4%BA%95-%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%BF/dp/4004315964?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4004315964"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41LHEvXfZpL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E3%81%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%88%E6%8E%A2%E7%A9%B6%E4%BA%BA%E3%80%89%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BB%8A%E4%BA%95-%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%BF/dp/4004315964?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4004315964">学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">今井 むつみ</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2016-03-19</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">岩波書店</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4004315964</span></li></ul></div></div>
<p>本書では主に認知心理学の研究から分かった学びのメカニズムや熟達のコツを分かりやすくまとめている。紹介されている内容はOECDがまとめた『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BF%E3%81%9F%E5%AD%A6%E7%BF%92-%E2%88%92%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%AD%A6%E7%BF%92%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F-OECD%E6%95%99%E8%82%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%9D%A9%E6%96%B0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/475033314X?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=475033314X">脳からみた学習</a>』や、ベストセラー本『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E9%81%94%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E5%8A%B9%E7%8E%87%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%84%E5%8A%AA%E5%8A%9B%E3%82%92%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B-PHP%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/4569621988?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4569621988">上達の法則</a>』などで既出のものが多い。しかし、本書の特色は先のような本で紹介された事実を、単に事実の紹介に留めず、そこから「知識とは何か、学びとは何か」という問いへの答えにつなげていけるよう体系化していることにある。</p>
<p>著者は、一般的な知識観を「ドネルケバブモデル」と呼ぶ。知識は真実の部分的な情報であり、学ぶということはケバブのような真実の塊から部分を削りとっていくことだという考え方である。著者はドネルケバブモデルの知識観は現実の学習や知識のあり方に即していない知識観であると主張する。</p>
<p>知識はシステムの一種であり、学習者の思考を現実のデータに照らして複雑なネットワークを作り出す。例えば子どもは母語を学ぶ時、<正しい母語>なるものの断片情報として単語や文法を学んだりはしない。むしろ、子どもは生活のなかで親が話している言葉をまね、自分なりのルールで使っていくうちに母語を習得していく。学習とは外にある体系から知識を吸収していくことなのではなく、試行錯誤を繰り返して現実に通用する、自分なりの知識体系を作り出していくことなのである。そう著者は主張する。</p>
<p>本書は学習理論を分かりやすく紹介する本としては突出している。近年の学習に関する研究の知見を紹介する本は無数にあるものの、それが全体として何を意味しているのかを提示する本はなかなかない。何かをより良く学び、熟達したいと考えている人にはまず最初に手にとって欲しい本だ。</p>
『フリープレイ 人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』を読みました
2015-09-26T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2015/09/26/book-review-free-play-improvisation-in-life-and-art
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4845913089" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%A8%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81/dp/4845913089?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4845913089"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51eBXz8a2SL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%A8%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81/dp/4845913089?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4845913089">フリープレイ 人生と芸術におけるインプロヴィゼーション</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">スティーヴン・ナハマノヴィッチ</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2014-08-27</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">フィルムアート社</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4845913089</span></li></ul></div></div>
<p>先日、ビブリオバトルに出場した時に紹介した本です。チャンプ本は獲得できなかったのですが、個人的に非常に気に入っている本なのでブログでも改めて紹介しようかと思います。</p>
<p>本書はインプロヴァイザー(即興の音楽家)であるスティーブン・ナハマノヴィッチ氏がインプロヴィゼーションの秘密について解き明かした本です。インプロヴィゼーションというのは即興による演奏という意味ですが、本書ではもっと広い意味で、あらゆる場面での計画されていないパフォーマンスを指しているようです。</p>
<p>実は即興というのは、誰もが知らず知らずのうちに行っています。呼吸をすること、歩くこと、食事をすること。これらの動作一つ一つは、完全に計画されたまのではなく、その時の思いつきや身体の反応で成り立っています。会話のような、相互作用のある行動についていえば、何かを計画するということ自体が不自然な行為であるといえます。私たちは日々即興をすることで生きている、その即興の積み重ねが人を作り、人生を形づくるのです。</p>
<p>本書における「芸術」は、このような日常の中の即興に根ざしているものです。人間は誰でも自分の目的を叶えるために何らかの能力を駆使する場面があります。企画を通すためのプレゼンテーションだったり、車の整備だったり、今の私のように誰かに向けて文章を書いたりしています。その場面で発揮される技術のことを本書では「芸術(Art)」と呼んでいます。</p>
<p>そのような芸術を成功させるのに、人びとはしばしば意識的に行動を制御する計画を建てるのですが、著者は重要なのはそのように人工的に作られたルールではないと主張します。重要なのは、その人の人格や体質、認知の特性といった身体に内在するルールです。どんなに優れた技法や教えも、その人の特性に合わなければ効果を発揮することはできません。</p>
<p>自分の行動を完全に制御しようとしたり、人工的に作られたルールに従わせようとすれば、人はしばしば躓いてしまいます。仕事で緊張している時に、いつもならできている挨拶ができない、もっと魅力的に話せるはずのプレゼンがぎこちなくなってしまうという経験はないでしょうか?こういう躓きは、「この場では失敗してはならない」という自分を制御しようとする精神そのものが引き起こしてしまうのです。</p>
<p>本書はインプロヴィゼーションの秘密に迫る本ですが、それによって読者が特殊な技能や感性を獲得することを目指しているわけではありません。むしろ著者は、この本を読むことによって個々の人間が持つ特性を思い出させ、精神の緊張によってインプロヴィゼーションが失敗してしまうことを回避するヒントを伝えることを心がけたと述べています。</p>
<p>著者は人びとが普段持っているインプロヴィゼーションの秘訣=フリープレイの精神を思い出させるために、様々な話題を出します。自身の演奏経験をはじめとして、様々な音楽家や芸術家のエピソード、東洋哲学や神話に内在する太古のインプロヴィゼーションの事例などなど、あまりにも豊富な話題が本書にはつめ込まれているので、簡単に内容を要約することはできません。</p>
<p>個人的に面白いと思ったのは、インプロヴィゼーションは本質的には「遊び」であるという指摘です。以前、<a href="/blog/2014/09/20/review-les-jeux-et-les-hommes/">カイヨワの『遊びと人間』の書評</a>を書いたことが有りますが、本書の著者もまた、カイヨワの遊びの理論を援用しています。芸術において重要なのは自分自身の中にあるテーマを掘り下げることにあり、遊びは人を日常世界から隔絶した空間を一時的に作り出し、自分自身に向き合うことができるのだと著者は述べています。『遊びと人間』の実践編として、本書は読むことができるのかもしれません。</p>
<p>本書は芸術的なパフォーマンスに従事する少数の人々だけではなく、万人の心に響く名著だと思います。基本的にはどこから読んでも何かを得ることができるように書かれているので、まずは手にとって読んでみることをお勧めします。</p>
<p>ちなみにナハマノヴィッチ氏の演奏動画がYouTube上で本人によってアップロードされています。例えば以下の様な演奏ですね。</p>
<iframe src="https://www.youtube.com/embed/i2qJSYhYh7I" layout="responsive" sandbox="allow-scripts allow-same-origin" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen=""></iframe>
『嵐が丘』から読む識字と差別
2015-09-23T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2015/09/23/book-review-wuthering-heights
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4003223314" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E5%B5%90%E3%81%8C%E4%B8%98-%E4%B8%8A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86/dp/4003223314?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4003223314"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/4100B226N7L._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%B5%90%E3%81%8C%E4%B8%98-%E4%B8%8A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86/dp/4003223314?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4003223314">嵐が丘(上) (岩波文庫)</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">エミリー・ブロンテ</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2004-02-17</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">岩波書店</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4003223314</span></li></ul></div></div>
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4003223322" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E5%B5%90%E3%81%8C%E4%B8%98%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86/dp/4003223322?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4003223322"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/312XG2EHK2L._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%B5%90%E3%81%8C%E4%B8%98%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86/dp/4003223322?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4003223322">嵐が丘〈下〉 (岩波文庫)</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">エミリー ブロンテ</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">2004-03-16</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">岩波書店</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4003223322</span></li></ul></div></div>
<p>つい先日、『嵐が丘』を読んでみました。 <a href="https://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E2%80%95%E2%80%95%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%89%B9%E8%A9%95%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85-%E4%B8%8A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4003720415?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4003720415">テリー・イーグルトンの『文学とは何か』</a>を読んでから、今まで読もうと思って読んでこなかった古典小説を読んで、批評までは行かずとも自分なりに作品を読み解く能力を身に付けられればと思ったのが理由です。ちなみに『嵐が丘』を選んだのは、<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150822-00000071-dal-ent">例の結婚報道</a>とは関係ありません(笑)。</p>
<p>『嵐が丘』について今さらあらすじや背景を紹介する必要はないかと思います。エミリー・ブロンテが書いた恋愛小説ですね。基本的には、捨子のヒースクリフが館「嵐が丘」の主人に拾われ、主人の娘キャサリンと両思いになるものの結婚することは叶わず、やがて復讐心にかられたヒースクリフが館を乗っ取ろうとするというお話です。</p>
<p>読んでいる最中はヒースクリフの憎悪とキャサリンの傲慢にうんざりしてしまい、読むのをやめかけました。あまり恋愛小説も得意ではないので、これは自分には合わないのかなと思ってかけていました。しかし、途中から恋愛小説とは別の側面として読むことができると気付き、最後にはページをめくる手が止まらなくなりました。</p>
<p>端的に言えば、『嵐が丘』という作品はヒースクリフとキャサリンの恋物語という体裁をとりながら、イギリスの階級差別を描いているように私は読めました。 以前、伊藤整の『文学入門』を読んだ時に、小説に人間が描かれるのは、人間で構成された社会を描くためであるという文章に出会いました。『嵐が丘』は、ヒースクリフの恋愛と復讐の物語を描くことで、そのような人間関係を内在するイギリス社会を描いているということができるでしょう。</p>
<p>ヒースクリフはもともとジプシーのような外見を持った捨子であり、本来は下層階級に所属する人間でした。それが上流階級の人間に拾われることになるわけですが、そこでもヒースクリフには階級的な差別をことあるごとに館の人間によってなされています。皮肉にも、両思いであったキャサリンからも、結婚すればどん底の生活が待っているから結婚を拒絶されるという形で階級差別を受けるわけです。ヒースクリフが復讐の鬼と化したのは、階級や無知による壁を克服しようとした意思が打ち砕かれたことが理由であることが読み取れます。</p>
<p>『嵐が丘』で階級を意識させるような場面として繰り返し出てくるのが、読み書きの場面です。幼いころのヒースクリフは、本を読んで読み書きを勉強しようとするも、当時の嵐が丘の主人であるヒンドリーから妨害され、ヒースクリフは無学を克服しようとすることから挫折してしまいます。そして、ヒースクリフが嵐が丘の主人となってからは逆に、ヒンドリーの息子であるヘアトンを召使の地位に落とし、読み書きの教育をさせないことで復讐を果たします。</p>
<p>印象的なのはヒースクリフのヘアトンへの目線です。ヒースクリフは階級や識字の被差別者でありながら、ヘアトンに同様の差別をするわけです。一方で、ヘアトンを差別する人間には憎悪を抱きます。キャサリンの娘とヒースクリフの息子であるヒースクリフ・リントンがヘアトンの無学を嘲る場面が出てくるわけですが、その様子を眺めるヒースクリフの描写はこうなっています。</p>
<blockquote>
三人の話をわたしと一緒に聞いていたヒースクリフは、ヘアトンが立ち去るのを見てにやりと笑いましたが、そのすぐあとに残りの二人を見た目には、異常なほどの嫌悪がこもっていました。二人は戸口に立って、軽薄なおしゃべりを続けていたのですが、リントンが妙に勢いづいてヘアトンの欠点を並べ立て、おかしな振る舞いをしたエピソードの数々を話せば、お嬢さんはお嬢さんで、その悪意ある生意気な話をおもしろがって聞いていて、そんな自分たちの意地悪さは考えてもみません。
<cite>(『嵐が丘 下巻』岩波文庫(初版) p.136より)</cite>
</blockquote>
<p>ここからはヒースクリフの矛盾した心理が描かれています。ヘアトンから知識を奪ったのはヒースクリフ自身であるのに、ヘアトンの無知を嘲る人間には憎悪を抱くわけです。ここから私は、ヒースクリフの行為の虚しさを感じます。ヒースクリフが克服すべきなのは下層階級や無知を嘲る目線でした。しかしながらヒースクリフは復讐心から図らずもその目線を強化する側にまわってしまったわけです。</p>
<p>興味深いのは、こうした識字の場面やヒースクリフの表情を描写しているのは、ネリーという家政婦であるという点です。よくよく考えてみれば、このような描写はネリーによる主観であり、本当にヒースクリフが上に書いたような心理を抱いていたかは保証できないわけです。しかし、であるがゆえに『嵐が丘』という作品のテーマに階級と識字の問題があることを強化していると私は考えます。『嵐が丘』においては、基本的に語り手が語り始めれば聞き手は基本的にそれを阻害することはないのですが、一箇所だけ語り手の話をさえぎる場面が有ります。それは、キャサリン・リントンがヘアトンの無知を嘲ったことを語った時で、聞き手のネリーはキャサリンの態度をたしなめています。</p>
<blockquote>
「ちょっと待って下さい、お嬢さん」とわたしは話をさえぎって言いました。「叱ろうというわけじゃありません。ただ、その態度は感心しませんね。へアトンだって、リントン坊やと同じで、お嬢さんのいとこ、それを考えたら、そんな振る舞いは間違いだとわかったでしょうに。第一、リントンと同じくらいお利口になりたいと思うなんて、立派なものです。それにヘアトンは、ひけらかすために勉強したわけじゃないでしょう。前にお嬢さんに笑われたから、きっと無学を恥ずかしく思って、勉強してお嬢さんに喜んでもらおうとしたんです。努力の成果が不十分だからって冷笑するのはぶしつけなものですよ。もしお嬢さんがヘアトンと同じ境遇に育っていたら、もっと上品になっていたと断言できますかしら。へアトンだって小さい頃は、お嬢さんと同じくらい賢かったんです。それを、あの下劣なヒースクリフにひどい仕打ちを受けたために、軽蔑されるようになったと思うと、わたしは胸が痛むんですよ」
<cite>( 同上 p.192より)</cite>
</blockquote>
<p>ここから、ネリーという語り手において物語の語り手や聞き手たることを一旦止めてまで識字への差別の問題が重要な道徳問題と捉えていることが分かります。</p>
<p>『嵐が丘』の結末では、キャサリン・リントンがヘアトンに対する態度を改め、和解し、ヘアトンに対して愛情を持って読み書きを教える場面が出てきます。そこではこのような文章が出てきます。</p>
<blockquote>
(......)一人は愛し、尊敬したいと願い、もう一人は愛し、尊敬されたいと願い、心はともに同じところに向かっておりました。結局、なんとかそこに到達したわけでございます。
<cite>(同上 p.323より)</cite>
</blockquote>
<p>これは2人の愛の形について書かれた文章ですが、一方で普遍的なあるべき人との関わり方を表しているようにも読めます。差別による悲劇を乗り越えたのは、ヒースクリフのような復讐心ではなく、キャサリンとヘアトンのような互いの愛情と尊敬の念であったのです。</p>
<p>『嵐が丘』の語り手はネリーという家政婦であったわけですが、そもそも作者であるエミリー・ブロンテはキャサリン・リントンのような上流階級の立場です。そして、この作品を読むには文字が読める必要があるわけで、当時を考えれば読者もまた同様の立場である可能性が高いでしょう。この物語が差別してきた側と差別されてきた側の和解と、ヒースクリフの壮絶な最期によって閉じられているのは、このような差別の問題を意識しながら上流階級の立場にあるエミリー・ブロンテの悩みと読者への願いが込められているのかもしれません。</p>
<p>『嵐が丘』を読むと、識字や教育の問題について考えざるを得ません。本作の舞台は閉鎖的な片田舎の屋敷の中の物語でした。ヒースクリフもヘアトンも、屋敷の人間関係にとらわれて学ぶことを阻害されているのです。ヘアトンは幸いにもキャサリンの愛を得て学ぶ機会を取り戻すことができました。しかしながら、当時のイギリス社会全体のことまで広げた場合、ヘアトンのように救われる可能性はどれほどあったのでしょうか。もし、嵐が丘の近くに図書館のような公共の学習施設があったら、どうなっていたのでしょうか。ヒースクリフが学ぶ機会を得て、復讐心にかられずに地位や無知の壁を克服し、幸福な人生を送るという筋書きがあったのかもしれません。</p>
<p>現代日本では識字率が高いために、このような差別構造について考える機会はあまりありません。しかしながら学習環境を整備するという問題は、常に問われるべきだと思います。現代において『嵐が丘』を読む意義としては、改めて人間が健全に学ぶ環境の重要性を実感することもあると思います。</p>
<p>以上、文学の素人なりに『嵐が丘』を解釈してみました。この記事を書きながら嵐が丘についてググってみたところ、『嵐が丘』における人種差別への批判であるとか、家父長制批判であるとか、私の解釈を覆すような評論が色々出てきました。たしかに人種差別という観点から考えると、『嵐が丘』の物語は差別を乗り越えたとは言い難いかもしれません。一方でキャサリン・アーンショーがヒースクリフとの結婚を拒絶したのは、女性が独立して生きることができない時代背景があるからだと読むこともできます。『嵐が丘』ほどの作品を評するというのはなかなか難しいものですね。</p>
<p>文学を学んできた方からすれば、陳腐で見当違いな評論だったかもしれませんが、そこはヘアトンに対するキャサリンの目線のごとく優しく接していただければ幸いです(笑)。</p>
気まぐれブックトーク: 「才能」についての3冊
2014-11-08T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2014/11/08/booktalk
<p>頭に浮かんできた言葉に関連した本を紹介するという趣旨で記事を書いてみようと思い立ったので書いてみる。</p>
<p>今日思い浮かんだ言葉は<em>「才能」</em>。</p>
<p>あの人はプレゼンテーションの才能がある。私にはイラストの才能がない。日常で才能という言葉はよく使われる。日常でよく使われる言葉の大半がそうであるように、才能という言葉がどういう意味を持つのか、あまりはっきりとしない。</p>
<p>才能には生まれつきのものと、努力によって獲得したものとに分けることがある。前者の才能を持つ人のことを天才といい、後者の才能を持つ人を秀才という。この2つの言葉を使う時、往々にして天才は秀才に優れており、先天的な才能には後天的な才能は追いつかないという文脈で語られることがある。このような才能観に真っ向から反対した本として、『非才!』がある。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4760138382?tag=dhatenanejpkuni-22"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4760138382.09.jpg" alt="Amazon.co.jp: 非才!―あなたの子どもを勝者にする成功の科学: マシュー サイド, Matthew Syed, 山形 浩生, 守岡 桜: 本" /></a></p>
<p>この本は卓球の世界チャンピオンである著者が、自身の才能がどのようにしてできたのかを科学的に検証し、子どもを天才にするには親はどう育成すべきかを説いた本である。本書のもっとも核となる主張は、「先天的な才能を持つという意味での天才はいない。すべての才能は絶え間ない努力の賜物である」ということである。この主張は、ウェブ漫画などでも取り上げられている「10万時間の法則」の元ネタであるが、少々単純化して語られがちである。本書の主張では、人が卓越した才能を獲得するには (1) 明確な目的 (2) 反復可能な形式化された練習 (3) 練習を反復する膨大な時間(およそ10万時間) の3種類の条件が必要だという。1が必要なのは2や3だけでは車の運転をする人すべてがプロドライバーにはなれないことを反映している。努力しても才能を得ることができない人は、この3つのいずれかが欠けているからだという。そして、俗にいう天才たちは幼少時にこの3つの条件を満たす環境に恵まれていたからなのである。例えば、電撃のように高速で卓球の球を返す選手は、幼少時に通っていた卓球場がとても狭く、大きく身体を動かすことができなかった。その環境下で長期間に渡り卓球の練習を続けた結果として、体を動かさずに球を素早く返す能力を獲得せざる負えなくなったのだ。この選手は、最初から高速に球を返す能力を獲得しようと思って練習をしたわけではない。たまたま用意された環境の制約の中で試合に勝とうとしたことが彼を天才にしたのである。</p>
<p>『非才!』は凡人でも上手く努力すれば誰でも天才になれるという点では凡人に希望を与えてくれる本ではあるが、反面努力しなければ才能は身に付けることができないという点で厳しい本である。10万時間なんて社会人になってしまうととても確保できるわけはなく、天才を育てようとする親以外に本書の教訓を実現する読者はなかなかいないのではないか。そんな、手遅れな凡人の1人である私が次に面白いと思った本がこちら、『さあ、才能に目覚めよう!』である。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4532149479?tag=dhatenanejpkuni-22"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4532149479.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="Amazon.co.jp: さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす: マーカス バッキンガム, ドナルド・O. クリフトン, 田口 俊樹: 本" /></a></p>
<p>この本は『非才!』とは逆に、才能を先天的なものとしてみなし、誰もがそれぞれ持っている才能を伸ばそうと啓発する本である。とはいっても、ここでいう才能とは、『非才!』で取り上げていたような卓越した能力のことを意味しているわけではない。本書は才能というものを「特定の何かに執着する気質」と再定義している。そして、それこそが人を何かに特化したりスキルを身につけるための鍵なのだという。一見すると、この主張は『非才!』と矛盾するようである。しかし、よく読んでみれば実は補完する関係にあるということが分かる。そもそも、なぜ世の才能ある人は10万時間も練習に費やしたのか。それは幼少時の環境が寄与していたのかもしれないが、それだけでは成立しない。私は小学生の頃、空手・サッカー・水泳など様々なスポーツの習い事をしていたが、何一つとして上手くはならなかった。理由はいたって単純で、興味がわかなかったからである。そう、そもそも10万時間も特定の練習を反復できる執着心自体が、ひとつの才能なのではないだろうか。そしてそれは、努力で身につけるものではない。その人が生まれてから早期に身につけた性格に起因するのではなかろうか。『さあ、才能に目覚めよう!』は、人間は自我を形成する過程で何か固有のものに執着する性向という意味で「才能」を獲得しており、それを自覚して才能をポジティブに使おうとすれば人はだれしもある種の天才になれると主張した本である。</p>
<p>『さあ、才能に目覚めよう!』の面白いところはこの「才能」を具体的に34種類に分類し、実際に読者が持つ才能ベスト5を分析する診断テストを用意しているところである。(というよりも、そもそもこの本は才能診断テストの販促本といった位置付けなのであるが)。そして、自分が持つとされる才能をどう活かせばいいのか、周りの上司や先輩、友人はある才能を持つ人にどう接すればいいのかについてのアドバイスが書かれている。 (ちなみに私の才能ベスト5は「収集心」「内省」「学習欲」「自我」「着想」だそうで、大学の先生からは「何の意外性もない」と言われた) 自分は何に向いているのか、どうしたら活躍することができるのか悩んでいる人は、この本を読んで、診断を受けてみるといと思う。天才になれるかどうかは分からないが、自分の活かし方について示唆を与えてくれる。</p>
<p>以上の2冊は才能に関する本の中でも特に有名なのでここで終わるのはちょっとつまらない。そこで、別ジャンルから本を1冊取り出してみる。</p>
<p>才能を持ったからといって良い人生を送れるとは限らない。むしろ世の天才の中には、才能がありすぎるがために不幸な人生を送る人もいる。陳腐だが、人間に本当に必要な才能は「幸せになろうとする才能」だと私は思う。その才能を持つ人にとって、社会が豊かであろうが過酷であろうが関係ない。いつでもそういう人は自分が今生きている中で幸せを見つけようとする。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4102132015?tag=dhatenanejpkuni-22"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4102132015.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="Amazon.co.jp: イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫): ソルジェニーツィン, 木村 浩: 本" /></a></p>
<p>『イワン・デニーソヴィチの一日』は、極限の生活の中で「幸せになろうとする才能」を持った主人公の一日を描いたロシア文学の名著である。主人公のイワンは、友人に宛てた手紙でスターリンを批判したがために収容所に送られてしまい、その間長期に渡りロシアの凍てついた収容所生活を送ることになってしまった。これはソルジェニーツィン自身の実話をもとにしており、ここで書かれている収容所生活はあまりにも凄惨である。しかしながら、この小説中でイワンは、憂鬱な感情を一切表さない。彼は昼食の時間にパンを1つ余計に食べることができたことに至福を感じ、氷点下の雪世界の中できれいにレンガを積むことに熱中する。客観的に見て誰もが不幸だと思う環境の中で、彼はささやかな幸せや喜びを全身で受け止めようとする。だからこの小説には収容所生活を描写する小説としては珍しく陰鬱な雰囲気が皆無であり、ときにはイワンがささやかな幸せに大喜びする姿に微笑んでしまうことすらある。もちろん、この小説は収容所生活が不幸ではないことを主張するために書かれた本ではない。この作品が発表された当時は、まだスターリン死後間もなくで、収容所生活について批判的に書くことができなかったという背景がある。おそらくソルジェニーツィン自身は、こうしたささやかなことを幸せに感じるイワンの姿を描くことで、逆説的に収容所生活の悲惨さを描こうとしたのだと思う。しかしながら、私はこの作品を最初に読んで感じたのは、収容所の悲惨さよりもイワンという人間の強さだった。豊かな社会の中で恵まれた人生を送っていても、必ずしも幸福にはなれない。社会が豊かであることは人の幸福追求を容易にするけれども、そもそも個々人が幸福に生きる意思を持つこともまた必要ではないか。イワンは、誇ることもなく、ただ生きる姿を見せることで私たちに幸せになる意思を持つことの重要さを教えてくれる。多分こうした強さを手に入れることはできたのは、イワンが図らずも凄惨な1日を、それこそ10万時間を越えるまで反復して生き抜いてきたからかもしれない。これからどういう考えを持って生き、いかに幸せになるかは、目の前の生活をどう受け止めるかにかかっているのだと私に教えてくれた1冊である。</p>
<p>わずか3冊だが思いつきのブックトークを書いてみた。単なる書評よりも、こういうブックトーク形式で書いたほうがテーマについて多角的に考えることができるので、今後気まぐれにこういう記事を書いてみるのもいいのかもしれない。</p>
ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』
2014-09-20T00:00:00+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2014/09/20/review-les-jeux-et-les-hommes
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4061589202" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E9%81%8A%E3%81%B3%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%96%93-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7-%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%AF/dp/4061589202?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4061589202"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/21M6RY2E48L._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E9%81%8A%E3%81%B3%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%96%93-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7-%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%AF/dp/4061589202?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4061589202">遊びと人間 (講談社学術文庫)</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">ロジェ カイヨワ</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">1990-04-05</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">講談社</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4061589202</span></li></ul></div></div>
<p>人間は遊びが好きである。子どもの時にはごっこ遊びをしたりテレビゲームをしたりして日常の大半を過ごす。大人になってもスポーツをしたり、賭け事をしたりする。遊びは人生の中で欠かせないものであり、生活に潤いをもたらす。</p>
<p>このように生活に密着した遊びであるが、いざ遊びとは何かと問われるととたんに言葉に窮する。遊びほど実践と思考に断絶のある活動は無いのではなかろうか。
本書『遊びと人間』は遊びの本質を追究した哲学書である。</p>
<p>まず、カイヨワは遊びの基本的な定義を以下の通り記述している。</p>
<blockquote>
<ol>
<li><strong>自由な活動</strong>。すなわち、遊戯が強制されないこと。むしろ強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。</li>
<li><strong>隔離された活動</strong>。すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。</li>
<li><strong>未確定な活動</strong>。すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の工夫があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。</li>
<li><strong>非生産的活動</strong>。すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。</li>
<li><strong>規則のある活動</strong>。すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。</li>
<li><strong>虚構の活動</strong>。すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。</li>
</ol>
<p><cite>(『遊びと人間』p.40より)</cite></p>
</blockquote>
<p>カイヨワは以上の定義から逸脱した遊びは「堕落した遊び」であり、本来的な遊びではないと否定する。例えば、体育の授業で行われるスポーツもパチプロも彼らの考えからすれば逸脱した遊びであり、批判されるべきものだろう。体育の授業は強制されたものであるから「自由な活動」ではなく、パチプロはパチンコをすることで生計を立てているので「非生産的活動」から外れるからである。</p>
<p>カイヨワは以上のように遊びを定義したが、これだけでは遊びの内容を説明することはできないと考えた。
まさに自分が遊びをする最中に感じる「楽しさ」を端的に言い表すには、どういう定義を行えばいいのか。</p>
<p>カイヨワは遊びの「パイディア(Pidia)」と「ルドゥス(Ludus)」という用語を発明することで遊びの本質を言い表した。</p>
<dl>
<dt>パイディア(Pidia)</dt><dd>即興と歓喜の間にある、規則から自由になろうとする原初的な力</dd>
<dt>ルドゥス(Ludus)</dt><dd>恣意的だが強制的でことさら窮屈な規約に従わせる力</dd>
</dl>
<p>カイヨワはこのパイディアとルドゥスという2つの力を極として位置付けられた活動が遊びであるとした。つまり、遊びとは自由奔放でありながら何か見えない規則に縛られている、一見矛盾した行動であるとカイヨワは位置付けたのである。</p>
<p>遊びが2つの力の極に引っ張られたものであるということは、遊びにもパイディア寄りのものとルドゥス寄りのものがあり、そこには濃淡があるということである。
カイヨワは遊びの内容にしたがって、遊びを以下の4つに区分した。</p>
<dl>
<dt>アゴン(Agon) </dt><dd><q>すべて競争という形のとる一群の遊び</q>(p.46)。</dd>
<dt>アレア(Alea) </dt><dd><q>遊戯者の力の及ばぬ独立の決定の上に成りたつすべての遊び</q>(p.50)</dd>
<dt>ミミクリ(Mimicry) </dt><dd> 参加者が<q>その人格を一時的に忘れ、偽装し、捨て去り、別の人格をよそおう</q>遊び(p.55)</dd>
<dt>イリンクス(Ilinx) </dt><dd> <q>眩暈の追求にもとづくもろもろの遊び</q>(p.60)</dd>
</dl>
<p>「パイディア』と「ルドゥス」という2つの極。そして上の4分類を用いると様々な遊びを分類することができる。試みに、具体例を上げながら表形式で遊びを分類すると以下のようになる。</p>
<table class="table">
<tr><th>-</th><th>パイディア</th><th>ルドゥス</th></tr>
<tr><th>アゴン</th><td>けんか</td><td>サッカー、野球</td></tr>
<tr><th>アレア</th><td>(存在しない)</td><td>パチンコ</td></tr>
<tr><th>ミミクリ</th><td>ごっこ遊び、演劇</td><td>組み立て遊び</td></tr>
<tr><th>イリンクス</th><td>サーカス</td><td>(存在しない)</td></tr>
</table>
<p>このように分類してみると、それぞれの遊びが内在する規範や楽しさの秘密が分かるだろう。</p>
<p>カイヨワの遊び理論の面白いところは、以上の遊びの定義と分類を使って社会を支配する力を解き明かそうとする点である。</p>
<p>カイヨワによれば、人類の歴史は「ミミクリとイリンクスの時代」と「アゴンとアレアの時代」の2つの時代に分けることができるという。
ミミクリとイリンクスの時代とは、つまり呪術や幻覚が支配する時代である。社会の支配者は仮面をつけたり(=ミミクリ)、薬草などによって錯乱したり(=イリンクス)することで神や精霊の代行者となり社会をコントロールしようとする。日本で言えば卑弥呼の時代などを思い浮かべられる。
人類はこのような呪術と幻覚に支配された文明から、徐々に法律による規制や市場での競争を通じて社会をつくりあげようとする。
つまり、ミミクリとイリンクスの時代からアゴンとアレアの支配する社会へと人類は移行するのである。</p>
<p>しかしながら、ミミクリとイリンクスは人類社会から消失したわけではない。
ミミクリは演劇という形で、イリンクスはサーカスといった形で生き残っている。
ときにこうした遊びは反社会的な行動へと変化する。
そして、社会の片隅で人間を魅惑し、再び社会を支配しようとしている。
その転覆が成功したとき、それは革命といった形で社会に現れるのである。</p>
<p>このように、カイヨワは遊びの分析を出発点として人類文化を研究することができると考えた。
このため、『遊びと人間』は遊びだけではなく人類のあらゆる物事を考える汎用的な方法論として使えるのである。</p>
<p>名著とは、読者の現実の捉え方を転換させるような本だと思う。
そうだとすれば、本書は間違いなく名著といえるだろう。
ぜひ読んでみていただきたい。</p>
<h3 id="関連リンク他サイト">関連リンク(他サイト)</h3>
<ul>
<li><a href="http://www.critiqueofgames.net/book_review/05.html">『遊びと人間』ロジェ=カイヨワ</a></li>
<li><a href="http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/3818/books/asobi.html">遊びと人間</a></li>
<li><a href="http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-803.html">遊びと人間 - 情報考学 Passion For The Future</a></li>
</ul>
『もしも月がなかったら ありえたかもしれない地球への10の旅』はオススメの科学読み物
2013-06-22T14:07:19+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2013/06/22/book-review_what-is-the-moon-doesnt-exists
<div class="amazon_tag" itemscope="" itemid="urn:isbn:4487761131" itemtype="http://schema.org/Book"><a class="image_block" target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%82%E6%9C%88%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%B8%E3%81%AE10%E3%81%AE%E6%97%85-%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BBF-%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%BA/dp/4487761131?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4487761131"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/512QK0Y5HYL._SL160_.jpg" /></a><div class="item_detail"><p class="title" itemprop="name"><a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%82%E6%9C%88%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89%E2%80%95%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%B8%E3%81%AE10%E3%81%AE%E6%97%85-%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BBF-%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%BA/dp/4487761131?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4487761131">もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅</a></p><ul><li>著者: <span itemprop="author">ニール・F. カミンズ</span></li><li>出版日: <span itemprop="datePublished">1999-07-01</span></li><li>出版社/メーカー: <span itemprop="publisher">東京書籍</span></li><li>カテゴリ: <span itemprop="">Book</span></li><li>ISBN: <span itemprop="isbn">4487761131</span></li></ul></div></div>
<p>太陽、月、そして地球は人間の生活に必ずついてまわる存在である。『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E6%98%8E%E5%AF%9F-%E4%B8%8A-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%B2%E6%96%B9-%E4%B8%81/dp/4041003180?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4041003180">天地明察</a>』や『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E6%9A%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C-%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%AF%E3%83%B3/dp/4422211560?SubscriptionId=AKIAIAR2JMFTYJZ5F74A&tag=kunimiyainfo-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4422211560">暦の歴史</a>』(<a href="http://www.kunimiya.info/blog/2013/04/28/%E3%80%8E%E6%9A%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%80%8F%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0/">書評</a>) などにある通り、人類の歴史および文明もまたこれらの星の動態を予測しコントロールすることが常に重要な事項であった。神話などでも太陽や月は擬人化されるおなじみの存在である。</p>
<p>しかし太陽・月・地球の現在ある姿に慣れすぎてしまっている人類は、ついそれが絶対的不変なものであると考えてしまい、人類が誕生したことを当たり前だと考えがちである。実際には今現在も地球外生命体は公式には発見されていない。なぜ地球にだけ生命体が誕生したのかを明確に答えられる人は少ない。</p>
<p>本書は「もしも〜だったら」という仮定による思考法によってありえたかもしれない地球の姿を想像し、地球の成り立ちを理解する独創的な科学読み物である。</p>
<p>その仮定は非常に多様である。月が生まれなかった地球である惑星ソロンをはじめ、地軸が天王星のように傾いている(公転面に対して水平な) 惑星ウラニアや太陽の質量が今よりもっと大きい場合の地球である惑星グランスターなど地球に関わる太陽系の変数を少しずつずらした世界が章ごとに考察されている。</p>
<p>作者はもともとスーパーコンピューターを使った宇宙のシミュレーションを専門とした研究者であるため、考察の過程は非常に緻密かつ網羅的である。また、そもそも現実の地球の成り立ちについて、日本語版では竹内均氏によるわかりやすい解説がついているため、天文学の知識のない人でも容易に話についてこれる。</p>
<p>本書を読み終えたなら、私たち人類が住む環境として地球がいかに穏やかな惑星であるかを痛感する。例えば月のない地球である惑星ソロンの章では、人類が誕生したとしても人類が今よりも数億年遅れていただろうと考察されている。なぜならば月の引力による潮汐のの無い海は化学物質の混合や拡散があまり活発に行われないため、生命そのものが誕生しにくい。加えて、月の引力が無いソロンは自転が早く、大地に吹く風は地球よりもはるかに激しいため、生命の本格的な上陸はその風に耐えうる種が登場するまで待たなければならない。この他、月がないために起こる様々な自然現象が人類の発展を阻害する。</p>
<p>こうした様々な仮定の積み重ねでありもしない地球の姿を想像することに意義を感じない方もいるかもしれない。しかし作者は、むしろこの手法は人が生きるにあたって極めて重要なのだと主張する。</p>
<blockquote>
だれも気づいていないかもしれないが、人間は本能的に「もし〜だったら」という世界を毎日のようにつくりだしているのである。嘘だと思うなら、六歳の子どもの言葉に耳を傾けてみるといい。幼い子どもたちは「もし〜だったら」と言いながら、毎日のように新しい世界をつくりだし、それを探索しているのである。
<もし〜だったら>プロセスは、われわれが行動する前にその長期的な影響について考える能力に不可欠な部分である。人間以外の動物は、衝動につきうごかされて、ただちに行動するのに対して、人間は、まずはじめにその行動の結果を考えるのがふつうである。「もしあの人と結婚したら?」「もしあの会社に就職したら?」「もし引っ越したら?」そこから得られた洞察は、われわれの意思決定にとって重要である。
</blockquote>
<p>そして、本書におけるありえたかもしれない地球たちについての洞察もまた、人類の意思決定にとって非常に重要であると筆者は考えているようだ。それは本書の最終章で描かれる地球の姿を目にする読者もまた同様に考えるに違いない。なぜなら、それは将来起こりうる地球の姿なのだから。</p>
<p>天文学などや地球のなりたちについての知識のない人にこそぜひ読んで欲しい画期的な科学読み物である。</p>
面白かった順・今までに読んだSFリストとほんの少しの感想文
2013-05-15T14:35:58+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2013/05/15/%e9%9d%a2%e7%99%bd%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%9f%e9%a0%86%e3%83%bb%e4%bb%8a%e3%81%be%e3%81%a7%e3%81%ab%e8%aa%ad%e3%82%93%e3%81%a0sf%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%a8%e3%81%bb%e3%82%93%e3%81%ae%e5%b0%91
<p>もうすでに過去の出来事になりつつあるが、<a href="http://booklist.hatenablog.com/entry/20130514SF">はてな界隈で俺が考えるSF小説ベストN選みたいな大喜利</a>が盛り上がっていた。 そこで私も、といきたいところだけれどもSF小説は好きだがアシモフなんか1冊も読んでいない外道なのでとても手をだせない。</p>
<p>そこで、せめて今まで読んだことのある数少ないSF小説を個人的に面白かった順に並べて振り返ってみた。</p>
<p>作品の質を客観的に評価しているわけではなく、自分の感性と合ったか否かで順番を決めているうえ、コメントもその作品の内容をまともに説明していないので本を探すにあたっては何の参考にもならないと思う。はてブでSFタグを追いまくってる酔狂な人で初心者をぶっ叩きたい人用。</p>
<h2>01. ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』</h2>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448866301X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51GMQM4MC4L._SL160_.jpg" alt="星を継ぐもの (創元SF文庫)" style="border: none;" /></a>
</div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448866301X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">星を継ぐもの (創元SF文庫)</a>
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posted with <a href="http://www.amazlet.com/" title="amazlet" target="_blank">amazlet</a> at 13.05.13
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</p></div>
<div class="amazlet-detail">
ジェイムズ・P・ホーガン <br />東京創元社 <br />売り上げランキング: 745
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</p></div>
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<p>『12人の怒れる男たち』SF版という感じ。私的にはこの作品のことを科学小説ならず科学者小説と呼んでいる。この作品を読んで、科学というのは一人の天才が生み出すわけでもモノリスみたいな絶対的な存在ではなくて、無数の人々の論争によって積み上げられてきた泥臭いものなのだと考えるようになった。大学生は読むといいと思う。研究室で誰かと自分の考えていることを議論したくなる。</p>
<h2>02. 伊藤計劃『ハーモニー』</h2>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;">
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</div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
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</p></div>
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伊藤 計劃 <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 3,918
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<p>伊藤計劃をいきなり2位に挙げるのはあまりにもミーハーかもしれないけれど、面白かったのだからしょうがない。この作品はディストピア小説なのかユートピア小説なのか、正直なところ私にはわからない。この作品の描写の幾つかはまるで現代の日本をそのまま書いているかのようだ。だから、この小説をディストピア小説と呼ぶなら現代も十分ディストピアだということになる。ETMLにしても、テレビ番組の笑い声の効果音と一体何が違うのだろうか?</p>
<h2>03. 伊藤計劃『虐殺器官』</h2>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;">
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<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150309841/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)</a>
<div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">
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</div>
</p></div>
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伊藤 計劃 <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 2,671
</div>
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</p></div>
<div class="amazlet-footer" style="clear: left">
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<p>虐殺器官をはじめて読んだとき、人間の虐殺の本能を呼び起こされる器官があるというアイデアは面白いと思いつつも、現実にはありえないものだと思った。しかしその後のロンドンの唐突な暴動などを見てからというもの、こういう器官は本当に存在するんじゃないかと疑うようになった。人間が理性的でいられる世界というのは案外脆くて、それを破ってしまうリスクはいつでもどこかに存在する。</p>
<h2>04. ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』</h2>
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150116776/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51n5MTCL-0L._SL160_.jpg" alt="ディファレンス・エンジン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)" style="border: none;" /></a>
</div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150116776/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">ディファレンス・エンジン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)</a>
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<div class="amazlet-detail">
ウィリアム ギブスン ブルース スターリング <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 36,357
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<p>ディファレンス・エンジンは計算能力がいかに文明の発展を加速させるかを巧みな想像力でみせてくれた偉大な作品。作中では蒸気機関のコンピューターの実用化という現実には起きなかったひとつの事業を通じて、ドミノ倒しのようにあらゆる技術や社会改革に火がつく。この作品を読んでからSFにおいては未来を描くことよりも、その未来を作り出す原動力は何なのかを問うほうが重要なのではないかと思うようになった。</p>
<h2>05. テッド・チャン『あなたの人生の物語』</h2>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150114587/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51191C0153L._SL160_.jpg" alt="あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)" style="border: none;" /></a>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150114587/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)</a>
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<div class="amazlet-detail">
テッド・チャン <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 42,722
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<p>『あなたの人生の物語』に収録される作品の多くは私たちの生きている世界とは何の関係性もなさそうな、ある意味ファンタジーに近いような世界観だ。「地獄とは神の不在なり」という作品は、もし神や天使が実在するとしたらというSFらしさからはかけ離れた設定からスタートする。でもテッド・チャンの書く作品は間違いなくSFだと直感的に感じる。それは『ディファレンス・エンジン』の項で書いたように、ある世界を支える原動力とは何かを鋭く突いているからだと思う。</p>
<h2>06. 円城塔『Self-Reference Engine』</h2>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415030985X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41nQiE2nAgL._SL160_.jpg" alt="Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)" style="border: none;" /></a>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415030985X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)</a>
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<div class="amazlet-detail">
円城 塔 <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 24,609
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<p>円城塔の作品はSFに分類してよいものかどうか迷う。私には円城塔の作品は科学的な雰囲気を匂わせたメタフィクションものに思える。それでも私にとってSFと聞くと円城塔の作品が必ず浮かぶ。それは多分物理の試験なんかで「摩擦の存在しない」といきなり仮定されたときの感覚に似ている。机上の空論を展開するには机を一旦まっさらにしないと大胆な説を打ち立てられない。そういう常識をまっさらにして何かを生み出す力が、円城塔の作品から感じる。SFは論理的な展開を必要とする一方で自由な想像力も不可欠だという二面性を思い出させるのに役立つ作品群だと思う。</p>
<h2>07. グレッグ・イーガン『しあわせの理由』(グレッグ・イーガン/著)</h2>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415011451X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Y8BNNFB7L._SL160_.jpg" alt="しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)" style="border: none;" /></a>
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<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415011451X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)</a>
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<div class="amazlet-detail">
グレッグ イーガン <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 109,331
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<div class="amazlet-sub-info" style="float: left;">
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<p>グレッグ・イーガンの作品は難しすぎてよく理解できないところがたくさんあるのだけれど、コンセプトのようなものははっきりとわかることがある。『しあわせの理由』は自我が一貫したたしかなものであるという常識的感覚を突き崩す意図が顕著だ。そしてそれを理屈ではなく描写によって分からせる。あまりにも難解で頭を抱える読者が多いのにもかかわらずイーガンが称賛されるのは、むしろさらっと常識を突き崩す描写を挟み込むところに理由があるのではないだろうか。</p>
<h2>08. ジェイムズ・ティプトリー・Jr『たったひとつの冴えたやりかた』</h2>
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<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150107394/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51YM52wPC3L._SL160_.jpg" alt="たったひとつの冴えたやりかた (ハヤカワ文庫SF)" style="border: none;" /></a>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150107394/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">たったひとつの冴えたやりかた (ハヤカワ文庫SF)</a>
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ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 6,607
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<p>『たったひとつの冴えたやりかた』は4つの「決意」について書かれた本だと思う。1つはある少女の、2つ目はある男の、3つ目はある船長の、そして4つ目は作者自身の決意である。4つ目がなんなのかについてはあとがきを読めば分かる。この短篇集の作品は、ある大学生カップルに老いた司書が見せる歴史的資料という体裁をとっている。その司書がこんなことを言う。</p>
<blockquote>
<p>昔からヒューマンのあいだでは、ファクト/フィクションと名付けたものに大きな人気がある。つまり、重要な事件や時代をとりあげて、既知のディティールのすべてをそこにぶちこみ、ドラマティックな物語に再構成するわけだ。それによって歴史が記憶しやすくなると、彼らは主張する。わたしもその通りだと思う。 (p.8)</p>
</blockquote>
<p>作者はこれを書いた時70歳という高齢だったそうだが、作中の司書同様に読者に対して何がしかを教えてから去りたいと思ったのかもしれない。この世界を支えてきた原動力は技術や理論だけではないのだよ、と。</p>
<h2>09: グレッグ・イーガン『順列都市』</h2>
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<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150112894/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/510GECFZ41L._SL160_.jpg" alt="順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)" style="border: none;" /></a>
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<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150112894/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)</a>
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</p></div>
<div class="amazlet-detail">
グレッグ イーガン <br />早川書房 <br />売り上げランキング: 19,988
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<p>『順列都市』は正直、塵理論あたりからこれはナンセンスギャグの一種なのか真面目な話なのか全然わからなくなってくる。なので私は順列都市の面白さはあまり理解できていないと思う。それでも比較的上位に挙げたのは仮想世界に住む人間の描写に一つ一つが斬新に感じる(現実との時間の流れの遅さとか)一方で計算能力を一時的に購入するなど現代のAmazon Web Service を彷彿とさせる描写がある点が相当面白かったからだ。計算機科学系の学生ならきっとドハマリするんじゃないだろうか。</p>
<h2>10: 井上ひさし『吉里吉里人』</h2>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101168164/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51pT5chwwbL._SL160_.jpg" alt="吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)" style="border: none;" /></a>
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<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101168164/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)</a>
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<div class="amazlet-detail">
井上 ひさし <br />新潮社 <br />売り上げランキング: 17,796
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<div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px">
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<p>これが一般にSF小説と認識されているかどうかわからないけれども、一応SFに関する賞を受賞しているようなのでリストに加えることにした。私がこの作品をニューロマンサーを抑えて10位にランクインさせたのは、自分が日本人であるとなんとなく納得している「原動力」は一体なんであり、なにが失われた時に吉里吉里人のような日本から離れようとする意識が生れるのかが書かれているところに非常に興味を覚えたからだ。その何となく自分が当たり前にしていた感覚にセンス・オブ・ワンダーを与えてくれたことに感謝したい。</p>
<p>以下、11位以下のリストです。</p>
<ul>
<li>11: ウィリアム・ギブスン『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415010672X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">ニューロマンサー</a>』(ウィリアム・ギブスン/著)</li>
<li>12: チャイナ・ミエヴァル『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150118353/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">都市と都市</a>』</li>
<li>13: カート・ヴォネガット『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415010302X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">スローターハウス5</a>』</li>
<li>14: グレッグ・イーガン『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150118264/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)</a>』</li>
<li>15: ソタニスワフ・レム『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150102376/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"></a>』</li>
<li>16: ディック『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150102295/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">アンドロイドは電気羊の夢を見るか? </a>』</li>
<li>17: 瀬名秀明『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043405022/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">BRAIN VALLEY</a>』</li>
<li>18: 円城塔『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309021263/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">屍者の帝国</a>』</li>
<li>19: 瀬名秀明『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043405014/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">パラサイト・イヴ </a>』</li>
<li>20: 上田早夕里『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/433474530X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">魚舟・獣舟</a>』</li>
<li>21: 冲方丁『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150310149/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">マルドゥック・スクランブル</a>』</li>
<li>22: 円城塔『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150310203/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Boy’s Surface</a>』</li>
<li>23: 円城塔『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150310629/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">後藤さんのこと</a>』</li>
<li>24: ハインライン『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/415011742X/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">夏への扉</a>』(注3)</li>
<li>25: 筒井康隆『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101171084/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">おれの血は他人の血</a>』</li>
<li>26: カズオ・イシグロ『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4151200517/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">わたしを離さないで</a>』</li>
<li>27: 宮部みゆき『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198614423/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">ドリームバスター</a>』</li>
</ul>
<p>(殿堂入り:星新一のショートショートだいたい全部)</p>
<ul>
<li>注1: SF小説かどうか微妙な場合には、SF関連の賞を受賞しているかを判断基準にしました</li>
<li>注2: 注1の理論でいくと『図書館戦争』もSF小説だけど、あれはSFとしてよりエンタメ小説としての印象が強いので外しました</li>
<li>注3: さんざん批判されている小説なので挙げるの迷ったのですが一応読んだので。実は子供の頃に翻案版を読んでから本編を読んだのでご都合主義があまり気にならなかったです。恐るべし刷り込み効果。</li>
</ul>
『紛争と国家形成』を読んだ
2013-04-27T15:09:47+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2013/04/27/conflict_and_nation
<div class="amazlet-box" style="margin:2em 0 2em 0;">
<div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4258045985/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41dtgqWjloL._SL160_.jpg" alt="紛争と国家形成―アフリカ・中東からの視角 (研究双書)" style="border: none;" /></a>
</div>
<div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px">
<div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4258045985/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">紛争と国家形成―アフリカ・中東からの視角 (研究双書)</a>
<div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">
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</div>
</p></div>
<div class="amazlet-detail">
<br />アジア経済研究所 <br />売り上げランキング: 958,165
</div>
<div class="amazlet-sub-info" style="float: left;">
<div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px">
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4258045985/dhatenanejpkuni-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jpで詳細を見る</a>
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</p></div>
</p></div>
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</div>
<h2>要約</h2>
<p>本書『紛争と国家形成』は中東とアフリカにおける紛争を分析したもので、アジア経済研究所での研究会の成果を書籍としてまとめたものである。本書の特徴は、紛争を単なる災厄と見るのではなく国家が形成されるまでのプロセスとみなす点である。これまで中東・アフリカの紛争は取り除くべき災厄であり、外部から武力介入を行い、民主的な国家をトップダウンに建設するというアプローチで解決が図られてきた。しかしながらイラク戦争終結後の処理をみれば分かるように、事はそううまく運ばない。政治は常に偶発的な事象に左右され、介入国が望むような理想的な過程で国家は再建されない。本書では国家形成という概念を中心として、国家が誰かの手によって設計されるものではなく偶発的な事象の帰結であると捉え、紛争が国家の形成にどのような効果を与えたのを分析することで新たな紛争解決手段を探っていく。</p>
<h2>感想</h2>
<p>国家を自然現象のようにみる考え方が面白いとおもって手にとったのだが、いかんせん中東・アフリカの知識が足りずなかなかページを進めることができなかった。ただパラパラ拾い読みするだけでもなかなか面白い。まさかイラク戦争後の治安維持がああいう形で行われているとは知らなかった……。紛争がなぜ起こるのかを考えたい人におすすめ。</p>
『暦の歴史』を読んだ
2013-04-27T15:06:29+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2013/04/27/%e3%80%8e%e6%9a%a6%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e3%80%8f%e3%82%92%e8%aa%ad%e3%82%93%e3%81%a0
<div class="amazlet-box" style="margin:2em 0 2em 0;">
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<p>去年、映画「天地明察」とその原作を読んでから暦について興味を持っていたものの、関連本に手を出すまでには至らなかった。最近になってたまたま読んだのが本書『暦の歴史』なのだが、もしかしたら天地明察にふれる前に読んでおいた方が良かったかもしれない。天地明察で登場する歴とは、天文の真理を反映したものであり、歴の編纂に挑戦する渋川春海は真理の探求者であった(もちろん改暦に係る様々な政治的な事情は解説されているけれども、歴そのものではない)。しかしながらそれは暦の一側面でしかない。本書を読むことで、暦というものがいかに人類の文明を反映してきた「人間臭い」代物でもあるかが分かるからである。</p>
<p>本来、暦とは太陽や月の動きなどの自然現象の周期を把握するものであるため、暦の規則は自然現象に基づくものであるはずだ。1年や1日といった単位とその関係は天文の法則に従って決められている。しかしながら、なかには自然現象とは無関係に定められた暦の規則もある。週というのがその代表例である。7日間を1週間として定め、そのうち日曜日を休日とするグレゴリオ暦はキリスト教の教えを反映したものであって、少なくとも科学の視点にたった自然現象とは何の関係もない。さらに言えば、西暦年のカウントの仕方もイエス・キリストの誕生年を基準にしたものである(しかも本書によれば基準であるはずの誕生年は史実とは異なるらしい!)。このほか、世紀や四半期といった区切り方も完全に人間社会の都合で作り出された規則が暦には沢山関連付けられている。</p>
<p>このように自然現象とは無関係な規則が暦に存在するのは、人間が社会という人工的な世界の中で生きていくために多くの人が共有する規則が必要だったからである。だから、暦の歴史を知ることは人類の習俗を知ることなのである。</p>
<p>このようなきわめて人間臭い暦を著者は「地層」に例えている。</p>
<p>「歴を地層の歴史にたとえることは,あながち間違っていないだろう。暦も地盤と同じく土台を形成する。つまり, 集団生活の基盤を提供する。またそれは地盤と同じく,過去から受け継いだものでできている。そこには途中で外部から混じり混んだものや,積み上げられたものもあれば,時の計測の一律化や脱宗教化といった,深部の力の作用を受けて変質したものもある。また,断固たる政治的意志によって掘り返され,ひっくり返され,利用されることもあれば正確さが求められて,新しい技術を取り込むこともある。だが,その結果できあがったものはつねに,それ自体長い歴史の所産であるその土地その土地の基層によって異なっているのである。」(p.115)</p>
<p>本書はこうした様々な土地の「地層」を豊富な図解によって解説していく。世界中の暦をコンパクトにまとめている一方でわりと深い話もしているので若干解説がわかりづらいところはあるが、そんな時は適当にフルカラーで掲載された様々な歴史上の暦の写真を見て楽しむのでも充分だと思う。</p>
<p>本書を読んで特に私が面白いと感じた部分は、フランス革命後に編み出された暦法版エスペラントともいうべきフランス革命暦である。革命暦は1793年から1805年までの12年間フランスで用いられた暦法であり、これまでの暦の慣習を改め徹底的な合理化が図られた。例えば革命暦では1日が10時間であり、1ヶ月はすべて30日にして余った5日は年末に「サン・キュロットの日」としてまとめられた。7日を1週間としてまとめるキリスト教由来の概念も排除された。特に最後が重要であった。著者はこう語る。</p>
<blockquote>
<p>革命暦は1973年10月5日,恐怖政治の最中に発令された。それは時を非キリスト教化しようという意志の現れでもあり,主の日として特別視されていた日曜日をなくし,「司祭の死体置場」だった暦から聖人を一掃しようというものだった。</p>
</blockquote>
<p>このような歴の脱宗教化が図られたフランス革命暦であったが、結果としては民衆の間にあまり広まることはなく、ナポレオンの手によって破棄されることとなる。結局のところ暦とは自然現象と合理的精神だけに立脚したものではなく、人々の信仰や文化との結びつきがなければ成り立たないということを革命暦の事例は教えてくれる。</p>
<p>ゴールデンウィークということで、普段は休みになるということにしか興味が湧くことがなかった祝日の由来を振り返ってみるのも面白いかもしれない。そこには先人たちの思想・文化・習俗という「化石」を垣間見ることができるかもしれない。</p>
『経済大陸アフリカ』を読んだ
2013-04-20T08:48:31+00:00
https://www.kunimiya.info/blog/2013/04/20/%e3%80%8e%e7%b5%8c%e6%b8%88%e5%a4%a7%e9%99%b8%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%aa%e3%82%ab%e3%80%8f%e3%82%92%e8%aa%ad%e3%82%93%e3%81%a0
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<p>時たまテレビ番組で、タレントがアフリカで井戸開発などの開発に協力する様子を観ることがある。私を含めた大体の人はアフリカについて触れる機会というのはこういうテレビを通してでしかない。だからアフリカのイメージは、だいたいテレビ番組の感動の演出に則った形で固定化されてしまう。アフリカといえば貧困に喘ぐ不毛の大地であり、世界中の国々が開発援助を行って立て直そうとしている。アフリカの人々は常に「助けられる人々」であり、先進国は「助ける側の人々」というのがこの種のテレビ番組企画に通底するイメージである。私もまたそう思っていた。</p>
<p>しかし、本書『経済大陸アフリカ』はそんなアフリカのイメージをガラッと変えてくれる。いや、正確にいえばアフリカに手を差し伸べる国々のイメージを変えるといったほうがいいだろう。</p>
<p>本書によれば現在のアフリカは天然資源の輸出によってこれまでとは比較にならない経済成長を遂げているのだという。そして、この天然資源輸出のインフラ構築に最も貢献している国が中国であり、いまや中国とアフリカの間には密接な資源供給ルートが出来上がっているらしい。開発援助という視点からみると、中国の開発援助は2つの点で特異である。1つは、中国の開発援助は資源の獲得という利己的な動機を隠さず、アフリカと対等な関係を結んでいる点。もう1つは、中国は民主主義国家ではないため、これまで他国の開発援助が目標の1つにおいていたアフリカ諸国の民主主義化を目標におかない点である。つまり、これまでの開発援助とは動機も目標も異なる国がアフリカ大陸の経済成長を支えており、開発援助の考え方そのものが揺るがされつつあるのが現状なのだと筆者は主張している。この重要性ゆえに本書では中国の開発援助の話で全体の3分の1のページを費やしている。</p>
<p>アフリカ大陸はもはや不毛な大地ではない。いまや世界中の国々が手を結びたがる資源大国なのだ。</p>
<p>しかしながら、テレビ番組で映された貧困に喘ぐアフリカ人たちが演出されたものなのかといえば決してそうではないようだ。本書は中国の開発援助の後にアフリカ諸国の経済格差と農業政策について解説している。それによれば、アフリカの南部(サブサハラアフリカ) では都市と農村が経済的に断絶されており、都市は発展する一方で農村は一層の貧困に陥っている。都市が発展すれば人口が増え、食料の需要が増加するから農村部の経済も潤うのが普通であり、これはきわめて異常は事態である。なぜこのような事態が起こっているのだろうか。筆者はここで要因を2点挙げている。ひとつはアフリカ諸国の大半はいまだに農業が近代化されておらず、農民自身が食べていけるだけの農作物しか産みだせない。ゆえに都市に農作物を供給するといった経済関係をなかなか持てない。一方で都市は先進国からの食料支援によって農村部からの供給を待たずに食料を確保できている。これが2つ目の要因である。そして、資源の輸出による経済成長が物価を高め、農業の近代化に不可欠な化学肥料がますます農民の手に入らないようになる。このような悪循環がサブサハラアフリカの世界で類を見ない経済格差を引き起こしている。このままでは格差が火種になって内乱や紛争が激化しかねない。この経済格差をいかに埋めるような援助をしていくかが先進諸国や中国の課題となっていくだろうと著者は主張している。これは開発援助というものが慈善だけでは留まらない、自分自身の安全にもつながることを意味する。</p>
<p>そして本書の後半では開発援助という概念や動機の変遷を語り、これから日本の開発援助はどうあるべきなのかを論じている。このように、本書はアフリカについて述べた書籍でありながら、その3分の2がアフリカに対して開発援助を行う国々について解説している。なぜこのような内容になるかといえば、それはアフリカ諸国の現状は開発援助国の事情や援助内容に強い影響があるからである。裏を返せば、アフリカ諸国の現状の問題の解決には開発援助という概念を援助国はどう捉えているのかを再考する必要があるということだ。</p>
<p>最後に著者はこう述べる。</p>
<blockquote>
<p>自国のために働くことは利己主義ではない。健全なナショナリズムをもたない人間はどこでも尊重されない。それは開発の基本でもある。ただ、みずからのために働くことがすなわち他者の利益にもなるという事業を設計することがグローバルプレイヤーにはもとめられるのであり、そのための知恵が必要だ。アフリカとの新しい関係はそういった知恵によって構築されていかなければならない。日本はいまアフリカを必要としている。東アジア全体がアフリカを必要としている(p.280)</p>
</blockquote>
<p>アフリカは地理的には遠いけれども経済的にはすでに密接な関係があり、これから日本人はもっとリアルにアフリカのことを考えていかなくてはならないのだろう。ここに書かれているような力強い、けれども様々な問題を抱えるアフリカの二面性がテレビ番組でみるアフリカのイメージになっていくのもそう遠くはないかもしれない。</p>
『戦争の経済学』を読んだ
2013-02-21T22:36:31+00:00
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<p>『戦争の経済学』は戦争を事業としてみたときに、それが社会に与える経済的影響をミクロ・マクロ両方の視点から分析した書籍である。要するに「戦争は景気対策になる」という人によっては不道徳に感じる言説にマジレスしたのが本書の内容である。</p>
<p>本書の扱う範囲は非常に広い。まず前半ではアメリカの戦争(第一次世界大戦・第二次世界大戦・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争)のそれぞれのケースでのアメリカの失業率やGDPを分析して、戦争の経済効果を分析していく。そして戦争が景気対策となりうる条件を導き出していくのだが、この過程で戦争というものが現代に近づくにつれて経済を刺激する効果が少なくなっていくことがわかる。冒頭に述べた「戦争は景気対策になる」という言説が現状を反映しないことを示すわけだ。</p>
<p>そして本書の後半では戦争にまつわるトピックを経済学的に読み解く内容になっていく。例えば、徴兵制度は経済学的には効率的か否か、兵器の産業についての市場は機能しているのか、テロが経済学的に合理的かといった具合に。</p>
<p>本書の凄いところは倫理をまったく経由せずに戦争の効果を考察し、一般に流通する言説に対する冷静な批判を行うことにある。この点については人によって受け取り方は違うかもしれないが、私は多角的な視点を得るのに非常に役に立つと感じた。</p>
<p>翻訳者の山形浩生氏の解説にあるように本書は経済学の入門書としても読める。GDPや機会費用、フィリップス曲線といった基礎的な用語について分かりやすい説明があるので、私のような経済学の門外漢にとっては大変有用だった。</p>
<p>日本はこれから安全保障と財政の転換について建設的な議論が求められていくと思う。その両方について同時に学ぶ資料として本書は適しているだろう。私も、本書からはじまって勉強していきたい。</p>