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嵐が丘(上) (岩波文庫)

  • 著者:
  • 出版日:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • カテゴリ: Book
  • ISBN: 4003223314

嵐が丘〈下〉 (岩波文庫)

  • 著者:
  • 出版日:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • カテゴリ: Book
  • ISBN: 4003223322

つい先日、『嵐が丘』を読んでみました。 テリー・イーグルトンの『文学とは何か』を読んでから、今まで読もうと思って読んでこなかった古典小説を読んで、批評までは行かずとも自分なりに作品を読み解く能力を身に付けられればと思ったのが理由です。ちなみに『嵐が丘』を選んだのは、例の結婚報道とは関係ありません(笑)。

『嵐が丘』について今さらあらすじや背景を紹介する必要はないかと思います。エミリー・ブロンテが書いた恋愛小説ですね。基本的には、捨子のヒースクリフが館「嵐が丘」の主人に拾われ、主人の娘キャサリンと両思いになるものの結婚することは叶わず、やがて復讐心にかられたヒースクリフが館を乗っ取ろうとするというお話です。

読んでいる最中はヒースクリフの憎悪とキャサリンの傲慢にうんざりしてしまい、読むのをやめかけました。あまり恋愛小説も得意ではないので、これは自分には合わないのかなと思ってかけていました。しかし、途中から恋愛小説とは別の側面として読むことができると気付き、最後にはページをめくる手が止まらなくなりました。

端的に言えば、『嵐が丘』という作品はヒースクリフとキャサリンの恋物語という体裁をとりながら、イギリスの階級差別を描いているように私は読めました。 以前、伊藤整の『文学入門』を読んだ時に、小説に人間が描かれるのは、人間で構成された社会を描くためであるという文章に出会いました。『嵐が丘』は、ヒースクリフの恋愛と復讐の物語を描くことで、そのような人間関係を内在するイギリス社会を描いているということができるでしょう。

ヒースクリフはもともとジプシーのような外見を持った捨子であり、本来は下層階級に所属する人間でした。それが上流階級の人間に拾われることになるわけですが、そこでもヒースクリフには階級的な差別をことあるごとに館の人間によってなされています。皮肉にも、両思いであったキャサリンからも、結婚すればどん底の生活が待っているから結婚を拒絶されるという形で階級差別を受けるわけです。ヒースクリフが復讐の鬼と化したのは、階級や無知による壁を克服しようとした意思が打ち砕かれたことが理由であることが読み取れます。

『嵐が丘』で階級を意識させるような場面として繰り返し出てくるのが、読み書きの場面です。幼いころのヒースクリフは、本を読んで読み書きを勉強しようとするも、当時の嵐が丘の主人であるヒンドリーから妨害され、ヒースクリフは無学を克服しようとすることから挫折してしまいます。そして、ヒースクリフが嵐が丘の主人となってからは逆に、ヒンドリーの息子であるヘアトンを召使の地位に落とし、読み書きの教育をさせないことで復讐を果たします。

印象的なのはヒースクリフのヘアトンへの目線です。ヒースクリフは階級や識字の被差別者でありながら、ヘアトンに同様の差別をするわけです。一方で、ヘアトンを差別する人間には憎悪を抱きます。キャサリンの娘とヒースクリフの息子であるヒースクリフ・リントンがヘアトンの無学を嘲る場面が出てくるわけですが、その様子を眺めるヒースクリフの描写はこうなっています。

 三人の話をわたしと一緒に聞いていたヒースクリフは、ヘアトンが立ち去るのを見てにやりと笑いましたが、そのすぐあとに残りの二人を見た目には、異常なほどの嫌悪がこもっていました。二人は戸口に立って、軽薄なおしゃべりを続けていたのですが、リントンが妙に勢いづいてヘアトンの欠点を並べ立て、おかしな振る舞いをしたエピソードの数々を話せば、お嬢さんはお嬢さんで、その悪意ある生意気な話をおもしろがって聞いていて、そんな自分たちの意地悪さは考えてもみません。 (『嵐が丘 下巻』岩波文庫(初版) p.136より)

ここからはヒースクリフの矛盾した心理が描かれています。ヘアトンから知識を奪ったのはヒースクリフ自身であるのに、ヘアトンの無知を嘲る人間には憎悪を抱くわけです。ここから私は、ヒースクリフの行為の虚しさを感じます。ヒースクリフが克服すべきなのは下層階級や無知を嘲る目線でした。しかしながらヒースクリフは復讐心から図らずもその目線を強化する側にまわってしまったわけです。

興味深いのは、こうした識字の場面やヒースクリフの表情を描写しているのは、ネリーという家政婦であるという点です。よくよく考えてみれば、このような描写はネリーによる主観であり、本当にヒースクリフが上に書いたような心理を抱いていたかは保証できないわけです。しかし、であるがゆえに『嵐が丘』という作品のテーマに階級と識字の問題があることを強化していると私は考えます。『嵐が丘』においては、基本的に語り手が語り始めれば聞き手は基本的にそれを阻害することはないのですが、一箇所だけ語り手の話をさえぎる場面が有ります。それは、キャサリン・リントンがヘアトンの無知を嘲ったことを語った時で、聞き手のネリーはキャサリンの態度をたしなめています。

「ちょっと待って下さい、お嬢さん」とわたしは話をさえぎって言いました。「叱ろうというわけじゃありません。ただ、その態度は感心しませんね。へアトンだって、リントン坊やと同じで、お嬢さんのいとこ、それを考えたら、そんな振る舞いは間違いだとわかったでしょうに。第一、リントンと同じくらいお利口になりたいと思うなんて、立派なものです。それにヘアトンは、ひけらかすために勉強したわけじゃないでしょう。前にお嬢さんに笑われたから、きっと無学を恥ずかしく思って、勉強してお嬢さんに喜んでもらおうとしたんです。努力の成果が不十分だからって冷笑するのはぶしつけなものですよ。もしお嬢さんがヘアトンと同じ境遇に育っていたら、もっと上品になっていたと断言できますかしら。へアトンだって小さい頃は、お嬢さんと同じくらい賢かったんです。それを、あの下劣なヒースクリフにひどい仕打ちを受けたために、軽蔑されるようになったと思うと、わたしは胸が痛むんですよ」 ( 同上 p.192より)

ここから、ネリーという語り手において物語の語り手や聞き手たることを一旦止めてまで識字への差別の問題が重要な道徳問題と捉えていることが分かります。

『嵐が丘』の結末では、キャサリン・リントンがヘアトンに対する態度を改め、和解し、ヘアトンに対して愛情を持って読み書きを教える場面が出てきます。そこではこのような文章が出てきます。

(......)一人は愛し、尊敬したいと願い、もう一人は愛し、尊敬されたいと願い、心はともに同じところに向かっておりました。結局、なんとかそこに到達したわけでございます。 (同上 p.323より)

これは2人の愛の形について書かれた文章ですが、一方で普遍的なあるべき人との関わり方を表しているようにも読めます。差別による悲劇を乗り越えたのは、ヒースクリフのような復讐心ではなく、キャサリンとヘアトンのような互いの愛情と尊敬の念であったのです。

『嵐が丘』の語り手はネリーという家政婦であったわけですが、そもそも作者であるエミリー・ブロンテはキャサリン・リントンのような上流階級の立場です。そして、この作品を読むには文字が読める必要があるわけで、当時を考えれば読者もまた同様の立場である可能性が高いでしょう。この物語が差別してきた側と差別されてきた側の和解と、ヒースクリフの壮絶な最期によって閉じられているのは、このような差別の問題を意識しながら上流階級の立場にあるエミリー・ブロンテの悩みと読者への願いが込められているのかもしれません。

『嵐が丘』を読むと、識字や教育の問題について考えざるを得ません。本作の舞台は閉鎖的な片田舎の屋敷の中の物語でした。ヒースクリフもヘアトンも、屋敷の人間関係にとらわれて学ぶことを阻害されているのです。ヘアトンは幸いにもキャサリンの愛を得て学ぶ機会を取り戻すことができました。しかしながら、当時のイギリス社会全体のことまで広げた場合、ヘアトンのように救われる可能性はどれほどあったのでしょうか。もし、嵐が丘の近くに図書館のような公共の学習施設があったら、どうなっていたのでしょうか。ヒースクリフが学ぶ機会を得て、復讐心にかられずに地位や無知の壁を克服し、幸福な人生を送るという筋書きがあったのかもしれません。

現代日本では識字率が高いために、このような差別構造について考える機会はあまりありません。しかしながら学習環境を整備するという問題は、常に問われるべきだと思います。現代において『嵐が丘』を読む意義としては、改めて人間が健全に学ぶ環境の重要性を実感することもあると思います。

以上、文学の素人なりに『嵐が丘』を解釈してみました。この記事を書きながら嵐が丘についてググってみたところ、『嵐が丘』における人種差別への批判であるとか、家父長制批判であるとか、私の解釈を覆すような評論が色々出てきました。たしかに人種差別という観点から考えると、『嵐が丘』の物語は差別を乗り越えたとは言い難いかもしれません。一方でキャサリン・アーンショーがヒースクリフとの結婚を拒絶したのは、女性が独立して生きることができない時代背景があるからだと読むこともできます。『嵐が丘』ほどの作品を評するというのはなかなか難しいものですね。

文学を学んできた方からすれば、陳腐で見当違いな評論だったかもしれませんが、そこはヘアトンに対するキャサリンの目線のごとく優しく接していただければ幸いです(笑)。

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
kunimiya 作『『嵐が丘』から読む識字と差別』はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。