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映画が映画である最低限の条件とはなんだろうか。まず動画であることが条件の1つであることはたしかだ。しかし、単なる動画であるならば、街の監視カメラ画像との区別がつかないであろう。次に考えられるのは、何らかのストーリーが付随することである。映画は複数のシーンで構成されているが、フィクションにしろドキュメンタリーにしろ、それらのシーンには一貫した話の筋がある。映像と物語が映画の本質的な構成要素である。

それでは、映画のなかで映像と物語はどのような関係性を持っているのだろうか。視覚的要素と物語とは、他の芸術でも関係性を作ることができる。漫画などはそうだし、小説でも風景描写は重要である。映画と小説・漫画における風景の位置付けの違いはなんだろうか。

小説における風景は、物語に従属する。それに対して映画とは、物語が風景に従属する芸術である1。ある風景に潜む意味を観客に提示することは、映画にしかできない。映画としての独自性は、スクリーンに広がる風景が物語によってどれだけ異化され、観客にとって特別なものになるかということにある。

少女は自転車にのって [DVD]

  • 著者:
  • 出版社/メーカー: アルバトロス
  • カテゴリ: DVD

以前、『少女は自転車に乗って』という映画を観た。女性が自転車に乗ることが宗教上の理由により禁止されているサウジアラビアで、ある女の子・ワジダが自転車に乗ろうと様々な挑戦をしていくというお話の映画である。作中、ワジダがついに自転車に乗って走るシーンがある。観客の誰もが、このシーンを観て感動するのではないだろうか。少なくとも私はした。その光景が実現する前のワジダの苦労を知っているからだ。しかし、もし観客が、このシーンだけを観たとしたらどうだろう。おそらく少女が単に自転車に乗っている他愛もない風景としてしか観なかったに違いない。観客が感動できるのは、そのシーンに込められた意味が、物語という補助線によって提示されるからだ。

目の前に広がる風景に意味を見出すこと。それは生きるうえで無くてはならない行為だ。しかし人は日常生活で見慣れた風景に囲まれ、なかなか意味を見出す力を伸ばすことができない。映画は、そんな平凡な日常を生きる人が、風景から生きる活力を見つける方法を教えてくれる芸術なのかもしれない。

  1. 余談だが、演劇は風景から独立した物語である。演劇が演劇として成り立つのに、セットは必ずしも必要ではない。『何も無い空間』を参照

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